国産時計を代表するブランドセイコーは、SEIKO5、プロスペックス、グランドセイコー、プレサージュが現行ブランドとしてラインナップされています。しかし、グランドセイコーと同時期に「キングセイコー」という、ブランドがかつて存在していました。
謎が多いこのキングセイコーのブランド秘話と、キングセイコーのオーバーオールはどうするか、詳しく紹介してゆきます。
キングセイコーは1961年から1975年にかけて製造されたコレクションです。グランドセイコーとほぼ同時期に製造された事もあってグランドセイコーの弟分や兄弟コレクションとされます。
しかし現行存在しないコレクションで、セイコーホールディング社のHPにはキングセイコーの記述、メンテナンス料金、更にはヒストリーすら掲載されていません。そのためミステリアスな印象を受けるコレクションです。
キングセイコーの誕生は「第二精工舎」亀戸での誕生、とされています。
しかしその後は「第二精工舎諏訪工場」でも製造しており、キングセイコーが産まれた亀戸でもグランドセイコーを製造していました。
一般的にイメージされている、グランドセイコー=第二精工舎諏訪工場、キングセイコー=第二精工舎亀戸という「図式」は必ずしも成り立ちはしません。
製造期間が短く、現行モデルがないコレクションであることは愛好家に最も嘱望される時計です。さらに誕生秘話も様々な憶測を呼ぶ、愛好家が望むストーリーが揃っています。
セイコーでは修理部品の保有期間を決めています。
製造中止になった時期から
を基準としています。修理用部品は時計の機能を維持するために必要なため、部品が無いとオーバーホールや修理ができません。
キングセイコーは1961年から1975年にかけて製造されていた為、すでに修理部品は作られていないので正規メンテナンスができません。
メーカーではオーバーホールができませんが、一部の時計修理専門店であればキングセイコーのオーバーホールや修理を行っています。
ヴィンテージ時計店に行くとキングセイコー5626や、キングセイコー45、キングセイコー56などが並んでいますよね。
これらの時計は当然オーバーホールをされ店頭に並べられています。メーカーではオーバーホールを受けてもらえませんが、対応可能な修理専門店でメンテナンスがされています。
一部の修理専門店ではデットストックの修理部品を保有していたり、パーツを1から製造してメーカーでは受け付けてもらえないアンティークやヴィンテージの時計でも修理しています。
下の記事ではおすすめの時計修理専門店を紹介していますので合わせて読んで見てください。
特に記事の1番下で紹介しているクラフトワーカーズでは、いくつかの時計工房の職人を紹介していて、時計送らずを在籍している職人全員に一括見積もりが可能です。
キングセイコーのようにパーツが少なく修理ができる職人が少ない場合、修理工房を探すのが大変かと思いますが、一括見積もりで修理可能な職人を探せるのは便利ですよね。
オーバーホール終了後1年間の動作保証が設けられるので安心して依頼できると思います。
正確な情報を知るため、僕はメーカーであるセイコーの公式記事、情報が無いのか、セイコーホールディングのサイトやセイコーエプソンの HPを隈なく再検索しました。そして遂にグランドセイコーのHP内にキングセイコーの記述を発見しました。
第7話 「融合」https://www.grand-seiko.com/jp-ja/special/10stories/vol7/1/
エプソンの前身「第二精工舎諏訪」と「第二精工舎」(通称亀戸、現セイコーインスツルメント)は元々同じ会社でした。1937年に服部時計の製造会社として「第二精工舎」を設立後、太平洋戦争の激化により「第二精工舎」は長野県諏訪郡へ「疎開」を余儀なくされたのです。
「第二精工舎 諏訪工場」は腕時計製造を本格化します。紳士用腕時計の「マーベル」→「ロードマーベル」→「クラウン」と次々に、名機を世に送ります。これが後のグランドセイコーへと発展するのです。
一方、亀戸の「第二精工舎」は戦災からの生産設備の壊滅的被害から立ち直る事に苦戦していました。戦災によりほぼ「ゼロ」状態からの再生を目指すため「第二精工舎 亀戸」は、まずレディースモデルで「地力」をつけて行きます。
その後、紳士用モデルの製造計画が立案されます。一方諏訪から「グランドセイコー」発売の知らせも亀戸に入ります。定かではありせんが、当初亀戸は「グランドセイコー」ブランドでの発売を予定していたのかも知れません。
しかしグランドセイコーは「諏訪精工舎」が開発した物、として「キングセイコー」へ至ったのです。
キングセイコーはグランドセイコーには見られない工夫が見られます。その特徴が廉価路線による実用性の追求です。まずムーブメントは新規開発では無く、既存ムーブメント「クロノス(1958年産)」をベースに製造しています。
さらにグランドセイコーと明確な違いを出すため、敢えて「歩度証明」認定をしない道を当初選択します。後に歩度証明証書さをつけた、キングセイコーをリリースしますが、価格はGSよりかなり抑えた金額でした。
キングセイコーは多くの愛好家が示す通り、「第二精工舎」と「第二精工舎諏訪工場」、それぞれ工場同志のライバル争いで生まれたコレクションです。なぜ同じ会社の工場で争ったのでしょう?
長野に「疎開」した精工舎諏訪工場は1944年創立した地元の協力会社、(有)大和工業へ1959年事業譲渡し、「諏訪精工舎」となります。「諏訪精工舎」は信州精機、そして現在の「セイコーエプソン」に至るのです。
諏訪精工舎になる3年前、1956年にセイコーから発表した、「マーベル」はセイコーエプソンの社史内では「エプソンの実績」とされています。その後、ロードマーベルやクラウンに関しては記述は無く、グランドセイコーの記述もありません。
上に示すセイコーエプソン社のHPにある「エプソン社のあゆみ」の図を見ると、諏訪精工舎の前身はあくまで「大和工業」です。上記の年表の流れでいけば、1960年に誕生した「グランドセイコー」はエプソンの実績であるのが自然でしょう。
これは僕の考えですが、セイコーエプソンの「マーベル」の実績は後日のセイコーホールディングスとの「話し合い」で妥協したのでは?、という感じがします。その代わりグランドセイコーの実績をセイコーホールディングスへ譲った。
それを感じさせる記述がエプソンのHP内にあります。スプリングドライブに関する記述で「スプリングドライブは当社(エプソン)が独自に開発設計した技術(以下省略)、スプリングドライブはセイコーホールディングスの登録商標です」と。
幾度となく繰り返された、会社統合や分社があったことで、それまでに生産してきた製品の保有権はどこにあるのか?スムーズな交渉だったのかは、僕らが知ることはできません。しかし、このミステリアスなところにキングセイコーの「ロマン」を感じます。
さて、キングセイコーの外観の特徴はバーインデックスと、ドルフィン・ハンドという、グランドセイコーと初代グランドセイコーと変わらぬ外観が特徴です。
特に針は太くて長い「セイコーらしい」物を採用しています。一見すると、キングセイコーはグランドセイコーと比較すると変わらない雰囲気が多いと思う人も多いでしょう。
しかし決定的な違いはキングセイコーは全て「手巻きムーブメント」を採用しており、時計の厚みが薄いことが最大の特徴です。また初期の頃はハック機能も無くかなりシンプル(省力?)な時計づくりを行っていた事がうかがえます。
さてこの記事を書いている最中に衝撃的なニュースが入ってきました。そう、キングセイコーの復刻モデルがセイコーウォッチからリリースされました。
このキングセイコー復刻デザインモデルは、当時の手巻きムーブメントでは無く「自動巻」を採用しています。やはり手巻きムーブメントは希少なので当時とは違う自動巻を採用したのでしょうか?
キングセイコーはヴィンテージモデルです、オーバーホールで、一番の問題は生産終了し部品が入手しにくいことにあります。そのためメンテンスでは部品の摩耗を一品一品確かめて、使える物はできるだけ使うような修理を心がけることが必要です。
ヴィンテージウォッチのメンテナンスで、求められるスキルは部品の有無を確かめて作業を「トリアージ」することにあります。何でもかんでも修理交換では無く、時計の機能を失わない修理プラス、場合によっては「修理をしない判断」も必要です。
これからオーバーホールや修理をされる方は、次回以降のオーバーホールでも依頼したいと思える経験豊富で、スキルの高い時計職人を是非みつけてください。
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